希望は売り切れですか?

アラフォーでアダルトチルドレンで独身でおまけに失業に介護・・・。今日もつぶやく『店員さん・・希望は売り切れですか?』

12月29日に変わるもの 

12月29日。

楽しみである。年の瀬真っ只中の12月29日。

村田諒太VSゲンナジー・ゴロフキン」である。

以前から噂あったものの、ついに正式発表となったようである。

 

まさに夢のビックマッチ、何せ相手はあのゴロフキンである。

何せ「パウンド・フォー・パウンド」1位に君臨してきた

世界的スーパースター、ゴロフキンなのである。 

そんな世界的なスターが日本のさいたまスーパーアリーナで村田選手と対戦する。

ボクシングに少し興味があり、かじった程度の私でも、思わずその日が待ち遠しくなってしまう。

 

世界最高峰を凌駕する村田選手の姿も見てみたいし、同時に

スーパースターのスーパースターたる所以を目の当たりにして一人「うーむ…。」と唸りたい気もする。

まさに五分五分の気持ちである。

そして五分五分であると言うことは勝敗はどちらでもいい。という事でもある。

ただ面白い試合が観たい。エキサイティングな試合が観たい。ただただシビれたい。その一点。

 

瞬く間もなく勝敗が決まる世界。

次の瞬間、「倒れた!!?」何が起きたか目視など出来ない世界。

故に常にどこか痒くなるような疼くようなドキドキを飲み込みながらテレビの画面に食い入る。

あの高鳴り。それを感じさせてほしい。

 

こんなビックカード今までならテレビに噛り付くところだが

この試合、アマゾン・プライムビデオでの独占生配信らしい。

amazon-press.jp

 

良かった~である。プライム会員になっててこれほど良かったと思ったことはない。

この試合が生で観られ、あのドキドキ感を味わえるなら月額500円は惜しくはない。

私にとっては。

 

テレビからネット配信へ。確かに時代は移り替わっている。

 

これはもしかしたら…もしかしたら…。

 

12月29日。ますます楽しみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

年賀状

ふとコンビニに立ち寄った。

私の場合、自動ドアをくぐると大抵右折する。

窓際の雑誌コーナーにまずは向かう。癖なのかもしれないが、取り合えず棚に並んだ

雑誌を目にするのだ。手に取って立ち読みこそほとんどしないが。

そこに今年も例のものを見つける。

年賀状用のイラスト集である。

 

来たか。と思う。

今年も既にひと月半を残すのみとなった。もう年賀状シーズンが訪れてしまった。

「ほんと早いな…」と少し気が滅入る。

 

もっぱら年賀状はもう職場の人達にしか出していない。

20枚もあれば余ってしまう程度だ。

やはり発行枚数も年々減少しているらしい。

↓(詳細はここ)↓

news.yahoo.co.jp

 

当然だわな。感想はそれしかないのが正直なところだ。

時代にそぐわない。その一言だ。

何も時間と労力と金まで使ってまでハガキである必要性など微塵も感じないのである。

もとい、新年だからって何を急にあらたまって挨拶をする必要があるの?

そんな身も蓋もないことさえ思う。

まったくの惰性でしかないのだ、続けているのは。

 

そして年賀状はもう一つ問題を引き起こす。

プリンターだ。我が家では年数回の出番が有るか否かのプリンター。

本来ならの絶好の活躍の場であるはずが、毎度毎度グズってしまう。

肩もできていないのにいきなり160キロの剛速球投げろ!連投しろ!完封せい!!

と言ってるようなものだからしゃーない、と言えばしゃーないが。

 

給紙トレーがグイーンと傾くもピクリともしない年賀状。

どしたの?何?イップスなの?聞きたくなってしまう。

何とかのみこむも、

 

色見がおかしい。全体が青みがかかっている。というか青い。

今度は何?ヤクルトなの?ヤクルトスワローズなの?と。

足らないインクがあるらしい。

 

今度こそ、と思うが、

何やら縦線が入っている。変な縞模様だ。

何なん?今度は。オリックスオリックスのパジャマみたいなやつ??と。

インクヘッドをクリーニングしてください。との事。

…知らんがな。である。

 

こんな感じで遅々として一向に進まないのも年賀状である。

 

今年のセ・リーグはヤクルトが、パ・リーグオリックスが制覇したようだ。

共に昨年は最下位からのリーグ制覇だった。

 

ーー底からは上がるしかない。

 

来春には退職し、無職になるかもしない。いわば底だ。

ならば、這い上がるしかないのだ。    

ーーきっといつか。

 

いっそのこと、今年の年賀状のデザインは“退職願”にしようかな。

挨拶は色々だっていいはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

Let it be 阿佐ヶ谷姉妹。

お笑いコンビの阿佐ヶ谷姉妹がブレイク中のようだ。

NHKでドラマまで始まったようだ。

 

言わずもがなお姉さんこと渡辺江里子さんと妹の木村美穂さんのアラフィフ独身オバハン2人組である。

地味だ。地味とも行かないまでも世間的に云う美魔女などではない。

見た目普通の人。

どこかの町内会の婦人部で漬物なんか作っていそうである。

独身ながらもその風貌からは普通の家庭の普通のオカンを感じさせる。

友人のオカンでも何ら不思議ではない。

ピンクのヒラヒラドレスを除いては。

 

由紀さおり安田祥子姉妹のモノマネで好評を博すぐらいだから当然歌も上手い。キレイにハモって見せている。

そしてその狙いも上手かったようにも思う。

由紀さおり安田祥子姉妹は郷愁の歌なんかを清らかに語らうように唄う。ジサマ、バサマお涙頂戴である。

そこは厳かさすら感じる空気だ。当然いっじってはいけない空気が漂っている。

が、その聖域を近所のオバハンのようなルックスのオバハンデュオが知らん顔で切り裂く。

そりゃ面白いわな。ずるいはそこ行くのと。

 

そうだよな~オバハンってとにかく我が道行くもんな~。

並んで歩いていたら、その隙間チャリンコで突っ込んでくるもんな~。

勝手に部屋掃除して、丁寧に隠してたエロ本放り出しておくもんな~。

隣の〇〇さんのとこなんて…。って羨んでると思ったら「よそはよそ。うちはうち。」と淀みなく言うしな~。

 

と気づけばオバハンいじりみたいになってしまったが、お二人も自らを自虐的にネタにしているようだ。

オバハンのことはオバハンが一番良くわかるのだ。そして、しょうがないじゃない、だってオバハンなんだから。と言わんばかりである。

まさにありのままである。ありのまま。あるがまま。  Let  it  be  である。

あるがままに生きる。

ない袖は振れぬ。だからあるがままに生きる。単純明快だ。

 

が、単純明快が故に難しい。

 

いつもどこか自分にダメ出しをしている気がする。

もっともっとと追い詰めている気がする。

社会もそれを良しとしているような気がする。

そうでなければひとりここに置いて行かれる気がする。

そんな、しょうがないが言えずにいる現代人に

「こんな私たちで宜しければ。」と二人の笑いはゆっくりとじんわりと地味に染み入っているのかもしれない。

 

誠に勝手に失礼極まりないことを書き綴ってきたが、私も阿佐ヶ谷姉妹は好きですし、

これからの活躍も楽しみです。

そして、

朗らかに微笑むお姉さんのメガネの奥、鋭く光る眼光にちょっと恐ろしさを覚えるとともに

「もしかして…全て…目論見通り??!」とも感じるのは私だけでしょうか…。

 

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立冬の日

今日は立冬だ。

暦の上では冬の始まりだそうだ。

 

確かに今日は寒かった。

私が住む北国田舎市ド田舎町では既に気温は一桁台。おまけにグズグズと雨。

太陽が恋しい天気だった。

そして深夜から早朝にかけては氷点下になるらしい。

立冬に相応しい。

 

これから冬がスタート。

これから夏がスタート。

 

どっちがげんなりとするであろうか。

私個人では断然前者だ。だが大多数が同じ意見であるようにも思ってもいる。

寒い=ウキウキとはならない。何故なら…何故なら…何故なら…。寒いから。に他ならない。

寒い。これはこたえる。寒いだけで随分と侘しくなる。

体を縮こめるが気分も然り。どんどん外気に触れないように閉鎖的に閉鎖的に。

おまけに今日現在、原油高だ。

身体だけでなく財布にも寒さは直撃する。

 

ろくなことがない寒さの中、ウインタースポーツなるものを楽しむ方々もいる。

「よーやるなー…。」的に傍目に我関せずに思っていたが

こうして書いてみるとちょっとおや?と思うこともある。

 

もしかして無理矢理にやってる?

やけのやんパチでやってる?と。

厳密に言えばウインタースポーツなるものを太古に始めた人はやけのやんパチだった?

とか思った。

なぜなら、このままだと寒くてただ気が滅入るだけだし、どうせ滅入るなら抗うだけ

抗って滅入った方がマシじゃね?的な発想で始まった事かも?

その系譜を受け継いでいあるだけかも…。とか考えた。

が正確なところ。

 

だったとすれば、ちょっとウインタースポーツも悪くないかも。

ちょっと認識が変わる。

自分ではどうしようもない事象に負けじとひたすらにジタバタと抗う。

気候云々ではなくとも自分ではどうしょうもないことに四苦八苦し、ひたすらにジタバタと抗う僕らに図らずも重ねてしまう。

 

 

今年の冬は抗ってみるのも悪くないかも。そんなことを感じた立冬の日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パズル

オカンとパズルをする。

100均で売っている幼児向けのパズル。

対象年齢は3才以上となっていた。知育玩具と言ったところである。

 

以前も書いたがオカンには持病がある。パーキンソン病だ。

罹患してもう10年以上になっていて、それなりに病気は進行してしまっている。

それは体だけではなく、頭にもだ。

今はまだ経度ではあるもののごく普通、健全な70代のそれとは言い難い。

つまり認知症も併発している。

 

どうも図形が苦手になってきているようだ。

空白を埋めるであろう絵柄・形状を認識しそれらしいピースを探して当てはめてみる。

言葉にすると他愛もないことだが本人にとっては相当難題であったようだ。

30ピース程度がオカンにとっては3000ピース以上に感じていたのであろうか。

それ以上、無限ピースかもしれないし、正解のピースなどここには無いように感じていたのかもしれない。

 

1時間…まだ終わらない。

残り3ピースが進まない。

頭の片隅どこかにあるであろう正解へのきっかけが見つけられずにいるようでもあった。

が、それも違うようにも見えた。

埋めたピースの上に行く末を探るピースを重ね置いたりもしている。

老眼で見えていない? そんなことも思い尋ねるが見えているらしい。

“見えている” ならば、

これ以上は不可侵だ。立ち入りたくとも立ち入れない。

感じたくとも感じれない。

 

もしかしたらパズルの概念もわからなくなっている?とも思うが、残り3ピースまでは自力で辿り着いている。

 

間違いを正すべきか戸惑う。

 

今のオカンにはこれが正解なのかも知れない。

オカンにしか分かり得ないが、立派な回答なのかもしれない。

だが、それではパズルは完成しない。

パズルのルールではそれは通用しない。

 

正解は…考えあぐねてしまう。

 

3才児に期待されるものと70才過ぎた老人に期待されるものは当たり前に違う。

これから諸々を身に付けていく者とこれから諸々を身から離していく者。

一向に完成しないパズルは同じ。きっと完成を目指している本人の気持ちは同じなのに。

 

そっと正解のピースを手にとり、渡してみる。

解ったか解ってないかは分からない。

が、自力とは行かないまでも最後まで辿り着いた。

 

パズルのルールに則った。

今のオカンにとっては不自由で窮屈な答えだったかもしれない。

だが、この社会のどこかすみっこ、小さくとも無力とも大切なひとつのピースとして組み込まれているオカン。そうであって欲しい。

 

そんな願いを込めて。

 

 

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秋の長雨

また雨だ。

またまた雨。

性懲りもなく雨だ。

 

思えば今年の夏は異常だった。

雨らしい雨が降らない状況がひと月以上続いた。

おまけに猛暑だった。来る日も来る日も30℃超えだった。北国なのに、だ。

干ばつなんて生まれてこの方記憶にない。

余波は畑にも広がっていた。

 

それがここに来て帳尻合わせにきている。

9月末からことあるごとに雨だ。

“秋の長雨” 長く、冷たい雨。 時に強く、ただひたすらにシトシトと。

 

今の仕事に就いてから変に天気に神経質になってしまった。

ーー特に雨。

なにせ1日に20㎜程度の降水量でも諸々の段取りが狂ってしまう。

天気次第、お構いなしで「仕事ですよ。」とlineがなる。

プライベートは天気次第。よって先々の予定など立てられない。

旅行など出来る筈もない。

 

予定は未定。決めたくなくて未定ならまだいい。決めたくないのだから。

予定は天気次第。きっと神様しか決められない。決めたいが決められない。

 

決めたこともあった。現に母のデイサービスの利用日程は前月末に決めなければならない。だから当然、当てずっぽうに決めておくしかない。

そして、そんな時に限って狙ったように天気は下り坂。雨は降った。

今とて同じだ。

 

 

神様なんかでないことは重々承知はしている。が、胸のあたりにつかえた感情を飲み込めないでいる。

無性にイライラする。

どこかモヤモヤが晴れない。

どこにぶつけてもいいか分からない感情に支配され、ひとり悶々とする。

 

誰に? 何に? なんで?…

 

そうして、しょうがないが生まれてくるのを待っている。

 

明日も仕事か…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハッピーハロウィン

Happy    Halloween!!

スペルあってますかね?

  

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今年もやって参りました。一夜限りの大仮装大会。

欽ちゃんの仮装大賞なぞまるで興味なさそうである人種でもこぞって思い思いの

姿に扮し、我がもの顔で街を闊歩する謎の行事です。

まさに謎です。

 

ここ数年で一気にハロウィンって拡大、拡散していった気がします。

何があったのでしょうか?業界団体の甘い罠?かぼちゃ生産者達の一揆

なんだか分からんけどすっかり年中行事として定着した感があります。

ですが謎です。

 

そもそも、ハロウィンって何…????

何をお祝い(?)してるの…? 

何で…?

 

未だによく分かってません。

なので、訳の分からない行事で訳の分からない格好をした、訳の分からない人たちが

訳も分からず街にあふれ、訳の分からない事をしないようにと、訳の分からない任務を

託された警察なんかと、訳の分からないやり取りをしつつも、訳も分からず歩き続けるがため、訳の分からない疲労感に襲われ、訳の分からないままに帰宅する。

という、訳の分からないことがただただ繰り広げられるお祭り=ハロウィン

となっています。

 

だって私の小さかった頃はハロウィンなんてした事がなかったですもの。

正確にはハロウィンなるものの存在は小耳に挟んではいたものの

それを楽しむという概念がなかった。と言えるかもしれません。

 

いや。もしかしたら、

我が家ではそれは隠匿されてきただけなのかもしれません。

ただでさえ、年末年始は物入りです。

そこに加えて阿呆な我が子が「お菓子をくれなきゃいたずらするゾ」とこれまた阿呆な事をのたまう。

考えただけで頭が痛くなりそうなものです。

 

しかし、情報化社会なる言葉も今や死語となりつつある現代です。

そうも行かなくなった。

これまた日曜の朝、子供時間の定番となった戦隊番組でもハロウィン題材のキャラが当然が如く登場していました。

こうなるととぼけるにも、とぼけらせません。

ん~情報化社会…。と難しい顔になりそうになりますが

当然悪いことばかりでもありません。

 

あっちのハロウィンです。

あっちの方です。あっちの方のハロウィン。

これです。↓

www.youtube.com

 

バンドマンだった高校生の頃、洋楽にかぶれた友人宅でよく聴いたものです。

Helloweenです。なかでも好きだった曲「Eagle Fly Free」。

いとも簡単にこうして入手できる世の中に。

素晴らしく便利な社会になったものです。と思わず顔がほころんでしまうものの

思わず “むむっ??!!” となる映像も見つけてしまいました。

↓ 

www.youtube.com

 

うひゃ~・・・・。めちゃくちゃに巧い。そんでカッコイイ~。

プロのドラマーに巧いって言うのは甚だ失礼なのかもしれませんが

彼のドラム好きなんです。何度観ても惚れ惚れするばかりです。

 

バスドラムを鳴らし続けるふくらはぎは、まこと立派にこんもり盛り上がっています。

プロのプロたる所以を見た気になります。

 

そしてやっぱり今聴いてもいい曲だなーって。

名曲はやはり色あせないようです。

 

 

そんなハロウィンですが紆余曲折を経て現在

トリプルボーカル&トリプルギターの7人編成になっているようです。

 

www.jvcmusic.co.jp

 

ん~…。ボーカル3人て、輪唱でもしよんか?思わずツッコミを入れたくなります。

 

やっぱり HalloweenにしろHelloweenにしろ

訳が分かんない。

 

こんなご時世です。

明日のニュースかなんかでは静かなハロウィンでした。

なんて知らせが届いて欲しいものです。

 

私はひとり静かにマイケル・キスクの変貌ぶりに過ぎた月日を想うとします。