除去ではなくて加工です。
見えないものは見たいのだ。
見えないからこそ見たいのだ。
氣志團は、ピリオドの向こう側。
特攻の拓だと、スピードの向こう側。
そして男ならば、モザイクの向こう側。
こやつをぬんぐっと消し去る術をあれやこれやと飽きもせず探してきたのです。
その長く険しくもウホホな道中、幸運にもリアルに出会い大抵は『あー…。こんなもんだよな』と少年は大人になって行くものです。
が、正体を知ってしまった今でもモザイクを見るとあら、不思議。俄然少年の気持ちがムクムクと湧いてくるではありませんか?
AIを駆使してAVのモザイク破壊で荒稼ぎしていた男性が逮捕されたと小耳にはさんだ。
ある者は薄い目で睨んでは敗れ、ある者は、逆もまた真なりと虫めがねで拡大も普通に敗れ、またある者は角度だと乱心、首をいわし、はたまたある者はセロファンしかないと奇々怪々な自作メガネでトリップし…。
挑んでは敗れ、挑んでは敗れ、様々な試行錯誤と怪我の末に辿り着いたのがAIだった。と。
やっぱり機械には敵わない。何せAIですもの。人工知能ですもの。
と思うが記事を読んでみると実際は完全勝利ではないようだ。
「モザイク除去」の仕組みは、大量のデータをAIに学習させて、モザイクの部分を推測して再現させるもので、もともとは低い解像度のものから色や形を推定して高い解像度の画像に加工するための技術です。
要はAIに勉強させて予測させて加工させた。とのことだった。
あの日夢見たようにモザイクが画面から忽然と消えた訳ではないようだ。
『良かった良かった。』のようでもあり、『AIお前も…。無念。』のようでもある。
そして、大量のそのデータを来る日も来る日も来る日も来る日も突っ込まれ続けた
AIがちょっと気の毒にも思えてしまうのは、
敗者同士の見えない絆だろうか。
見えないものは見たいのだ。
見えないからこそ見たいのだ。