足が痛いと訴える夜に
良くないようだ。母の状態だ。
この頃では床に就くと足が痛いとしきりに父に訴えるようになった。
勿論、外傷はない。
どこかにぶつけたとかの事実もやはりない。
ネットを散見するとパーキンソン病由来の痛みの訴えであると思うのが妥当な気がする。
厄介なのが隣で眠りに就こうとする父に痛みを訴えていることである。
そしてこの父というのは病院嫌いで、どこぞの家庭用治療器なんかを駆使して
医学など学んだこともない男が閃きとカンを頼りに家庭用治療器なんかで治療と称した
外野から見れば誤魔化しと違わぬことを行うのである。
勿論、医者も匙を投げている病であるし、代替医療を真っ向否定する気はない。
だが、少しでも症状を緩和してやりたいと思っている純粋な心から来ているのだとすれば尚更頭ごなしに否定する訳にも行かないし、
効果が出ているのなら否定しようがない。
ーーー効果が出ているのであれば、だ。
そんな環境下で母も幾数十年も人生を費やして来ているのである。
父のなんちゃって医療にすがるのも無理もないことなのかもしれない。
そして、老い病み認知障害を伴うと尚のこと。
誰かをすがったりも、或いは積年の怨みにも似た思いを今表現しているのだとしても。
家族の闇はこんなことにも潜んでいる。
夢の中へ行ってみたいと思いませんか?2
~あらすじ~
薄明りの部屋には寝返りすらうてないオカンが座っていた。
その光景に茫然自失のオハマ。
果たしてオカンは夢の国の住人と化してしまったのか?!
そしてオカンの狙いとは…?!
堂々完結!。
(↓ ここまでの話はこちらから ↓)
恐る恐る寝室に歩を進める。
果たして・・・。
それに続く言葉は
どんな表情してる?であろうか、それとも、何してるの?であろうか。
はたまた、こんなにボケが進んでしまったの?が正解なのだろうか。
脳ミソは跡形のなくとろけてしまって最早思考にならない。
思考にならないがその分感性は鋭くなっている。
と、いう事にしておく。とりあえずは。
そうでなきゃ、目の前堂々と暗がりに鎮座しているオカンと対峙できない。
そんな気がしたからだ。
徐々に明らかになって行くオカンのシルエット。
何やらもぞもぞとやっている。
立ち上がろうとしている。
普段は専ら車椅子かベットの上での生活だ。
筋肉という筋肉は衰え、痩せた尻が重く持ち上がらないようだった。
「ちょっ、なしたん?」思わず声が出た。
こちらを向いたオカンの顔は笑みをたたえている。
「・・・」微妙だ。清々しい笑顔ではあるものの、その視線はややピンぼけ明後日を
みているような目でもある…ようなそうでもないような…。
何とも微妙な表情だ。 案の定、感性もとろけていた。
「あのさ、クローゼットに…」オカンがよどみなく続ける。
その声は健やかだった。
普段のパーキンソン病患者特有のか細く、呂律の回らないくぐもった言葉ではなく、太くクリアな健常者の健やかな声に違わなかった。
「…そっか、本当ならオカンはこんな声だったんだよな…」といつかのオカンがフィードバックしてくるが感傷に浸っている場合でもない。
今のオカンは必死に腰を上げようとしているオカンだ。そしてクローゼットに向け手を伸ばしているオカンだ。
それに手が届くように介助する。
だが、何故だ?!
何故にクローゼット?日付けも替わろうとしているこの時間に??
何を取ろうと?? 今でなきゃダメなのか??
不可思議としか思えない行動にとろけまくった脳ミソは明け方の歓楽街のゲロのように
何の役にも立たずにいる。
こういう事らしい。
クローゼットに履いていない毛糸の靴下が沢山ありデイサービスに持って行って皆で分けてもらいたい。勿体ないしょ?。と。
なるほど、なるほど…なのか?!
意図は解った。だが、日の高いうちでも間に合う時間はあるのに何故、今‥‥。
そう考えるのが普通かもしれない。
だが、オカンには今がベストで同時にそれ以外ないようにも思えた。
夕食後のLードパ製剤が今になって効果が表れている。
枯渇した体に、今ドーパミン溢れがオカンを突き動かしている。
夢の中の世界などではなく、現実世界でほんのひと時、夢のようなオカンに戻ることができている。
「びっくりしたしょ? ごめんね。思いついちゃったからさ。」とおどけて笑ってみせるオカンに会う事ができている。
薬効もあるかないかも、服用する意味さえも大差なくなってしまったこの頃だ。
きっと今がベストなのだ、それはきっと私にとっても。
オカンは今日デイサービスに行ってきた。
勿論、毛糸の靴下と少しぎこちない笑顔を携えて。
夢の中へ行ってみたいと思いませんか?
昨夜の出来事。
いつものように居間で、つまらないTVを観ている風にダラダラ点け流し、いつものようにビールをかっこんで脳ミソをとろかす作業に勤しんでいると、
なにやらオカンが寝ている寝室でごそごそと音がする。
ふと、目やると、
オカンのベット上の掛布団がもぞもぞと隆起している。
「あ、いつものやつかな。」
とろけ始めた脳が答えらしきものをすかさず用意し始めている。
オカンはパーキンソン病で、ある種の睡眠障害を起こすこともある。
いわゆる『レム睡眠行動障害』だ。
パーキンソン病を発症してからというもの、突然大声で「ごら゛っ!!」とか「あ゛あ゛あ゛っ!!」など言葉にすらなっていない音を発し、
私の心臓はその度止まっているのだ。
まさにハートブレイクショットならぬハートブレイクシャウトである。
ハートブレイクショットが伊達英二ならば
ハートブレイクシャウトはオカンである。オハマ=オカンである。
思わず伊達顔になるわたし
そして、このシャウトが部屋に響く時はオカンは足や手をしきりに動かしてみせることもあるのだ。
時に隆起と沈下を繰り返す大地か、はたまた寄せては返す波のようにうねうねと掛布団は動き、天に伸ばしたオカンの腕がタクトを振る指揮者が如く軽快にリズミカルに踊るる。
そんな光景を何度も見ている。そしていつもこう思うのだ
「皮肉なものだ…」
パーキンソン病も重くなってしまった今、普段といか現実ではあり得ない動きである。
病気などまるでなかったような正常な人の正常な動きなのだ。
ただ、それは夢の世界にいるときだけ起こる。
オカンが夢の世界にいるときのみ起こる、夢にまでみるような正常でよどみない動き。
実に皮肉なものだ。
とろけだしている脳ミソがそそくさと準備した答えをビールと共に
がぶがぶと鵜呑みしていた次の瞬間、
ガバッと掛布団の下、毛布がめくられた。
「…ん?」ちょっと脳ミソも手を止めた。
薄明るい寝室のベットの脇、何やら人影らしきものが見える。
オカンが座っている。
ベットに腰掛けている。
「ビビった」。正直ビビった。
ビビった以外の言葉は用意していない。脳ミソはすでにとろけてしまっている。
寝返りも自力ではうてない筈なのだオカンは。
そのオカンがむくりと体を起こし、ベットに腰掛けている。
手、足バタバタの比ではない。体を起こしているのだ。
とろけていない脳みそでも同じだったかもしれない。
ただただ唖然。
驚くしかない状況がそこにあった。
ー続くー
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おっさん萌え系に燃ゆる
老人がみんな同じ顔に見える。
私が若かりし頃、そんな事を言っている人もいました。
「?…そう?」私は親父が長男だったこともあり祖父、祖母とも同じ屋根の下で育ってきました。
所謂、拡大家族と言う形態であったためか、当時今一つピンとは来てない意見でした。
なにせ近所の爺さん、婆さんがよく家に来ては、暇を持て余してお茶をすすり世間話なんか延々としている、そんな家庭に育ったものですから、決してみんなが同じ顔とは思ってもいなかったし、そうも実際見えてないから驚きもしたものです。
この婆さんは顔がのっぺりとしてて、細くツリ目で話が長い。が声はデカい。とか。
この爺さんは髭が渋いが、眠目でいつも退屈そう。とか。
今にして思えば、子供ながらに違いを見つけては自分なりの解釈でその人を理解しようとしていたのかも知れません。
が、時は流れそれに似た現象が今私にも起きていて、
漫画のキャラクターが全部同じに見えて仕様がない。のです。
漫画のキャラと一口に言ってもひと昔で言うところの「萌え系」のキャラです。
その「萌え系」系統のキャラクターが全部、同じに見えています。
全員同じに見えているし、全部同じ作者なのって感じです。全部一緒。人類総萌え系??
あだち充先生が描く「タッチ」、「H2」、「めぞん一刻」…のキャラクター当てより
難題です。
なにせ、作品こそ違えどあだち先生が描くヒロイン像、ヒーロー像に統一感はあるし、それがあだちイズムとして理解できます。
が、
この萌え系キャラはどうも分からない。
違いがわからない。
何やらキラキラしてるけどさっきもキラキラしたAKBみたいな女子いたよな~と。
もうチンプンカンプンです。ちんちんもぷんぷんです。
違いの分からない男です。
いつか徳さんのようにならないかちょっと自分が心配でもあります。
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今日は世界トイレの日
今日11月19日は世界トイレの日だそうです。
移動の車内にかかるラジオで言っていました。ん?定番の語呂合わせでもなさそうだしと、ググッてみると、なるほどそう言う事でトイレの日なんですね。
リンク張りましたが、世界ではまだ20億人もの人がトイレのない生活をおくっているとの事。無知な私からしたらそんなに?!とショッキングな内容でした。“3人に1人が”です。
そんなに多かったとは…これぽっちも思っていませんでした。
生きることは排泄することでもある。どこか当然すぎて忘れがちな排泄をあらためて考えさせられます。
そりゃみんなキレイなトイレで他人の目を気にしないで安心してしたいですものね。
ふと、ここまで書いて小学生時分の事が思い浮かばれます、もしかしたら皆さんの中にもいらっしゃるかもしれません。
学校ってウンコ出来なかったなーって。
思ひ出ポロポロです。(ウンコなだけに)
小学生特に低学年くらいだとウンコ大好きじゃないですか。
マニアかってくらいにウンコに異常反応する。喜々とする。
今にして思えば不思議でしかないけど、そんな時期なので下手に学校では出来なかった。万が一発覚した日には「ウンコマン」として生きる事を余儀なくされる恐怖たるや。
まさに理不尽以外の何物でもない環境でした。
アイドルはウンコしない!と正気の沙汰ではない事をのたまうイカれた愛好家も絶滅した時代になったと思います。
この小学校ウンコ問題も既に解決済み。キレイサッパリと水に流れていて欲しいと思います。(ウンコなだけに)
そしてトイレにまつわる小話として未だに謎な事があります。
男子トイレの話です、少し広い男子トイレの話です。
まず、あたり前ですが扉があり、鍵も掛けられるようになっています。中には手洗い場と小便器が1つ。そして奥には更に扉があって、大便器も1つあるタイプのトイレです。その扉も勿論鍵付きです。そして広さは、コンビニなんかであるおむつ交換台とかが着いた広いタイプのトイレぐらいでしょうか。
1人で使用するには充分すぎるスペースがある感じです。
これって入ったら最初の扉に鍵掛けて1人で使用するのが普通なのでしょうか??
それとも2個便器あって各々最低限のプライバシーは守られる空間なのだから2人用と解するのが普通なのでしょうか??
これが未だに分からないのです。
年中ユルユルのお腹を持つ私としては小便器の奥、大き方の便器に用事があるのに最初の扉でシャットアウトされては死活問題。
ケツ筋が死ぬか尊厳が死ぬかの綱渡りをしているのに中では誰かが悠々と小便してるだけとなったら死ぬに死にきれないのである。
また同様に尿道パンパンな人からしたら小便器にしか用事ないのにユルユルな人のせいで中にすら入れない。これも同様に脂汗事案であり、股間を抑えての妙なクネクネダンスにも限度があるのです。
こんな風に考えると正解が未だに分からないのです。そして若干広いのが尚の事、迷いを深めてくれます。
今日は世界トイレの日です。
トイレにまつわることも今一度見直してみてもいいかもしれません。
それはきっと生きることの裏返しですので。
さすれば運命はコロコロと転がり始めるかもしれません。
(ウンコなだけに)
初雪の知らせ
北国田舎市ド田舎町にもやって来た。
冬がやって来た。
今朝、目を覚まし曇天の窓の外に目をやると、一面、白かった。
雪が降り軽く積もっていた。まだチラついているようだ。峠や山間部では既に幾度か降っていたようだが、平野部での積雪は今シーズン初だ。
ついに冬が来てしまった。どんよりと曇っている空のせいで余計に重たい気分になってしまう。
来るべき世界に来るべき時に来るべきものが待たせたなとばかり降りしきっていた。
これからの寒い・滑る・雪かきの三重苦の日々を告げるために。
もうすぐ溜息も白くなる。
鼻毛も凍って鼻の穴がへばりつく。
車も滑って止まらなくなる。
雪かきの汗が冷えて風邪ひいてしまう。
正直に書いてしまうとこんな良いところなど何一つない北国の冬だが、
雪降る夜はひたすらに静かだ。
自分以外誰もいないのでは?世界が止まってしまったかの様な静寂さがある。
そして、その中を白い息を吐きながらコンビニなんかにちょっと歩くのが割と
好きだったりもする。
雪明りのなか自分の足音だけがギュっギュっと鳴る。
刺すように張り詰める澄んだ空気を吸い込んで取るに足らない事を想う。
その空気に洗われて何か大層な答えが出るわけでもない。が、
自分の中でにすっかり煮え切って干からびてしまったことに酸素が行き届く感じがする。
ただただ懐かしい日々と懐かしい顔が思い浮かんでは消えていくように
息は白く残っては消えていく。
ギュっと残した足跡も人知れず。
今年はどんな冬になるだろう。
あんまり寒くないといいな。灯油も高いし。
糸婚
おめでとうございます。
菅田将暉さんと小松菜奈さんがご結婚されたらしいです。おめでとうございます。
全く関係ないそこらへんの一般人である私からもおめでとうございます。
お二人は以前からお付き合いされていたのは報道なんかで耳にしておりましたが、この度晴れてゴールインされたようです。
おめでとうございます。
全くもって雲の上の存在である二人ですが、何だか嬉しいというか喜ばしい気分になるのは、きっと二人が傍目に見てもお似合いだからだと思います。
ちょっと曲者の雰囲気とか格好とか。お顔立ちも似てるな〜と、なんか色んな意味で似た者同士のような気が勝手にしていたので、率直に良かった良かったです。
「ディストラクション・ベイビーズ」、「溺れるナイフ」、「糸」で共演されていたようですが、「糸」と言えば中島みゆきさんの名曲を受けての作品ですが、リアル“縦の糸はあなた”で“横の糸は私”であったようです。そして
“逢うべき糸に出逢える事を人は仕合わせと呼びます”と。
ちょっと出来すぎなくらい「糸」の世界観です。
リアル糸。
ならば糸コンです。
変換しなきゃ糸コンニャクですね。
糸婚。です。
糸コンニャクも美味しい季節に、糸婚。
“織りなす布はいつか誰かを暖めうるかもしれない”
実にほっこり暖まる知らせでした。