優しさ探し
母は病気、パーキンソン病だ。
モハメド・アリやマイケル・J・フォックス、古いところでは、ヒトラーなんかもそうだったとか、なかったとか。
国は特定疾患に指定している。不治ですよと。もうちょっと言えば今日現在、完治するための治療方法が確立されていない。つまり、サジを投げるしかない病気ですよ、と国が保証している。
それを拾ったのが母だ。
運悪く拾ってしまってから十数年になる、
捨てることもできないまま。
よって母は要介護者でもある。
と同時に、父も私も介護者となった。
この病気自体古くから存在し、母同様に苦しんでいる方も多い。ネットや書籍、映画『レナードの朝』でも描かれたりと、比較的容易に病気、症状に関する情報は手に入れ易いように思う。
なので、症状云々をここで事細に、書く事に意味は感じないし、専門家がもう既に発しているお手本に勝る訳がない。だからそれはしない・・・が、
書きたいことある気もします。こんな家族で繰り広げられるトホホまみれの介護や日常、それにまつわるエトセトラ。
同じようにトホホにまみれて同じ気持ちになってる方のために!
・・・なんて美談ではなくて、『何か意味がある。』と思っています。
『この境遇に置かれたことには、何か自分とって意味がある』と。
だから、書く、そんな感じです。
『大丈夫ですよ!家もトホホですから!同じですな! ガッハッハッハッ。』って一緒になれる方を見つけられたら素敵だと思いませんか?
『あー、大変そうだなー』と思ってくれる方でも良いですし、
『関係ないし』でも結構毛だらけ猫灰だらけ。(←古い)
もちのろん(←化石)発した事が、誰かのプラスになってくれたら、それこそが意味かもしれませんし、災い転じてなんとやら。です。
書くことに意味がある。
奇しくもオリンピックの精神です。