床屋で価値を考えた
髪を切ったのはいつだったろうか、確かまだ夏だった。
そこから伸ばしに伸ばしたり季節はもうすっかり秋だ。
3か月というところだろうか、とにかくもっさりしている。
ヘルメットのようだ。
ただでさえデカい頭にヘルメットだ。
「異星人…。」 ひそひそ声が地獄耳に届くまえに切らなければなるまい。
一丁前に美容室なるものに行っていた。
色気づいていた青年が通っていた美容室に中年になっても通っていた。
これが、正解かもしれない。
10数年来の付き合いとなった美容師さんにゆだねていた。
会話しなきゃとか、愛想ふりまかなきゃとか、変に気張らなくていいのだ。
要は楽だったのだ。
ーーーが、ひたすらにモテたかった青年も、今は婚活負け組おじさんだ。
もはや“楽”以外のメリットを感じていないのも実際だった。
どこか美容師さんに後ろめたい気持ちに、ヘルメットのように伸びた後ろ髪を引かれながらも別れをつげることにした。
そして、辿り着いたクイックカットBB。
勇み足気味に門をくぐればドーンと発券機。いきなりの先制パンチ。
受付などいないのだ。なるほどなるほど。そそくさと入金する。
ー1200円。
安い。今までの1/4だ。
モテなど眼中にないおじさんにとってこれ以上ない魅力だ。
店内を見渡せば席4席。職人さんと先客は3人ずつ。
席は1つ空いている。これはどうすれば…?と受付がいれば聞きたい場面だ。
が、いない。
しょうがなく、おどおどと席に着こうとするものの、次の瞬間、
『そちらでお待ちください!』 先制パンチからの右。
促されるままにふらふらと発券機脇の椅子につく。
ー新鮮だ。受付がいないのも、席が空いているのに中に入れてもらえないのも。
ふと、看板に目をやる。〈15分〉の文字が何やら躍っている。
所要時間か…と勝手に理解する。
ー15分。
これも、今までの1/4だ。出費も時間も1/4。
時間はお金だ。であると同時に、お金は時間だ。
いよいよ自分の順番がやって来た。足早に席に着く。
が、困った。
『どんな感じに?』
『短く…。』
『刈り上げ?それとも…』
『いや、刈り上げないで短く…』
そうなのだ。馴染みのところでは雑誌やらタブレットやらで『短く』の先のイメージを掘り起こし共有する手段が用意されていた。そして、前ぐらいにと言える年月があった。
が、ーー今は違う。
“短く”以外のイメージもそれを伝える手段も言葉も持ち合わせていない。
『ん~。…』と悩むより早く 『…わかりました。』との返答。
内心「本当~?」と思いつつも、これ以上伝える術など無く、何より出費も時間も1/4であることを受け入れた時点でそれ以上は無駄口なのである。
不意に、まな板の上の鯉の気持ちが分かった気がした。
静かだ。
ハサミが開閉し髪を切っていく音。バリカンの機械音。その裏で流れているラジオ。
ひたすらに髪をつかんでは切り、つかんでは切り、を繰り返す職人さん。
ただただ、静かだ。
“ただ髪を切って欲しい人”と“ただ髪を切って収入にする人”は皆一様に無言だ。
時折、新たな“ただ髪を切って欲しい”人の必要最低限を確認する声がするも、すぐに水をうったように静まり返る。
皆1/4を得るために、皆3/4を捨てている、懸命に。もちろん自分も。
そして、それを得た客が出ていくと、直ぐに捨てに新たな客がやって来た。
ベルトコンベアだった。まな板なんかではなくベルトコンベアの上の鯉だった。
などと、考えていたらもう散髪終了だ。早い。
未だ体にまとわりつく髪を掃除機のような機械が吸引する。
ぶぉーと吸引ホースに3/4はあっという間にのみ込まれてしまった。
…掃除機かよ。これにはちょっとだけ笑いが漏れた。