出る杭は打たれる
出る杭は打たれる。
受けているカウンセリングで信念の書き換えなる事に挑戦してる最中です。
表現は人によってまちまちかも知れませんが「信念」だったり、「価値観」だったり、或いは「思い込み」とか「固定観念」とかでしょうか。
自分が堅く正しいと信じている気持ちです。
それを書き換えるトレーニングです。
修正上書き保存するといった感じでしょうか。
そんな事できるの?なんてちょっと勘ぐってしまう気持ちがないわけではない
ですが、百聞はなんとやらですので。
「信念」はどこからやってきたのでしょうか?
と、問うまでもなくそれは、自分が今まで生きてきた中で、形成されてきたものです。
親、恋人や友人、家庭や職場…。
とりわけ幼少期に植え付けられたものがほとんどな様に思えます。
もちろん、その信念があったからこそ、ここまでやってこれたのは事実でしょう。が、その信念に縛られて行き詰っている。生きづらくなっている。
ならば、修正しましょうよ。と。
例えば、
“人前で決して怒ってはいけない。”と信じているとすると、
(どうでも)いい子ちゃんになるのが精一杯です。搾取されるだけです。
そこで修正をし、
“人前で怒っても良い” 何故なら〇〇だから。と
しっくり来るよう論理立て繰り返し自分に言い聞かせる。
さすれば、自然と上書き保存される。
こういう具合です。
(実際にはもう少し手順等あるのですが…専門家ではないので控えます)
その例示の中に “出る杭は打たれる” がありました。
確かにそう思っている自分もいるし、上書きを試みるも
“出すぎた杭は打ちにくい” 何故なら....何故なら…打ちにくいから?
全然しっくり来ません。
打ちにくい杭はひっこ抜かれます。そうします私なら。
“出る杭は鋼の杭である” 何故なら....何故なら…....何故なら…。
無理です。豆腐メンタルであるが故の悩みなのですから。
“出る杭は打たれる時もある” 何故なら打つ人あれば、目印にする人もいるから。
どうでしょ~…。どうなんでしょ~。ギリギリアウトのようなセーフのような。
なんだか大喜利みたいになってきました。
これで上書きしたらどうなるんでしょ?
ねぇカウンセラーさん。